pharukazeのブログ 駄文散文乱文

徒然なるままに。とある人曰く言語化は思考のツールと。ならば実践してみせよう。

つい無意味な悩みに嵌ってしまうとき、積極的多動を

悩むときは、だいたい体がとまったときだろう

止まると思い悩んでしまうのであれば、そしてその悩みがプラスの結果をもたらさない無意味な悩みであれば、止まらなければいいのではないか

歩くときは身体意識に集中、歩く瞑想を


もしくは、瞑想などで積極的に内的な余白を広げる作業に従事したり、有意義な構想をしたり計画を練ったり解決法を探したりと建設的な作業に従事してもいいかもしれない。

そういう意味では、バートランドラッセルは自分の外に興味を持てと言ったが、内的な積極的な活動も良いかもしれない。


ポイントは、積極的、という点だろうか。

自分をより高次から見下ろすメタ認知的な自我と別の、そうでない自我を心と呼ぶのならば、


心が動揺やショックやそのほか居心地の悪さを与える不愉快な思いなどに侵食されたとして、そのままに放置すれば自分すべてがこれに飲み込まれてしまう。

一方で、

メタ認知的な真の自我が積極的に活動すれば、のみこまれるのを阻止でき、積極性を発揮し続けることで効力感や攻めの姿勢を保ち、ポジティブな感情に近づくことができるのではないか。

HSPにとってはストレスの侵襲は大きいが、これをものにすれば心の粘り強さのテクニックも身につけることができる。もしくは、無意識的にこれを身につけている人もいるかもしれない。