HSPと文学、読書 感度がさらに上がること
文学を嗜むと感性の感度が上がる。日常生活のふとした場面が、さまざまな角度から捉え直される。
HSPだと尚更で、日常生活がより色濃くなり、繁華街はともするとグロテスクで、剣山針のように身体と脳を刺してくるように感じられる。
ノンフィクション読書家の成毛眞は、小説や映画を観ると感情的になるあまり一週間ほど寝込んでしまうというエピソードを書いているが、HSPも同じ感覚を味わったことがあるのではないか。
私もしばらく小説などは避けてきたし、というよりそもそもその楽しみ方を理解せずに生きてきた。本には常にメッセージ性や情報や意図を求めており、つまり私にとって読書は目的ある行為であった。
しかしここにきて、人生を考えなおし、人生の無意味なこと、無目的なこと(生の目的地は死のみであり、人生は過程でしかあり得ない)を感じ入ったことで、こういう無目的な読書法もあるのではと考えた。小説においては、ストーリーを追うのではなく、そこ一字一句に遊んではいいのでは、と。
そうしてみると、小説や映画やらの楽しみが分かってきた。HSPであるからといって無闇に文学を避けるのは、多少勿体ない。
感度抜群はHSPの特権として、あえて楽しむのもよいのではないか。